呼吸器・感染症内科学講座

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スタッフブログ

矢寺教授来たる
2017年9月11日

とあるヒトから最近の呼吸器感染症内科のブログは学会道中記ばかりだと指摘され、たまには医局であった出来事を記そうと思う。

平成29年9月7日(木) 特別講義のために産業医科大学呼吸器内科の矢寺教授に山口大学にお越しいただいた。 本来は5年生臨床系特別専門講義でお呼びしたのだが、我々医局員にも60分の専門的レクチャーをいただいた。内容は「16rRNAによる網羅的細菌叢について」であった。 産業医科大学呼吸器内科の大きなお仕事であり興味深く拝聴した。 どのようなものか興味がある方は、日内会誌 102:2875~2881,2013(https://www.jstage.jst.go.jp/article/naika/102/11/102_2875/_pdf)を参照されるとよいだろう。
網羅的細菌叢解析のきっかけは城戸先生(現:准教授)が画像上肺炎かがん性リンパ管症か悩んだ症例に気管支鏡を施行し気管支洗浄液のGram染色をしたところ見慣れない細菌がいたのを発見。そこから微生物学教室に相談して16rRNAを用いて網羅的細菌叢解析して起炎菌が判明したが始まったとのこと。
こういう話は論文には書いてなく、実際に手を動かした人間ではないとわからない話で大変参考になった。
よく「隣の医局は海外より遠い」と言われるがこのように教室の垣根が低いと立派な業績がでてくるのであろう。
その他、川波先生が論文にしている「喀痰からMRSAが培養されていても気管支肺胞洗浄液から黄色ブドウ球菌のクローンが検出されなかった症例が多数あった。真のMRSA肺炎は少ないのではないか」という話は目から鱗の話であった。 BMC Infect Dis. 2016 Apr 16;16:155. doi: 10.1186/s12879-016-1493-3.

講演の中でいくつか論文発表されたデータを提示され、産業医大には優秀な人材が多数いらっしゃるのだと感銘を受けた。 実は城戸先生も川波先生もわたしの高校の同級生である。あと一人高校の同級生で呼吸器内科をしているのがいるのだが彼は先月カナダのMcMaster大学のPaul O'Byrne先生のところへ留学した。 「みんな頑張ってるなぁ」と思う一方、なにもやってない自分を反省し、 教授が医局の廊下に張っている「一瞬一生」という張り紙の意味がしみじみ堪えた。

「青」と「赤」と「黒」
2017年9月2日

北海道大学の品川先生から、7月に気管支内視鏡学会の北海道支部会の講演とハンズオンセミナーをしてほしいといわれ、札幌に行った。 その際、久しぶりに尾翼が「青」の飛行機に乗った。 大手の飛行会社には「赤」と「青」の飛行機があるが、私は普段は「赤」の飛行機に乗っている。 夜中受験勉強をしていた頃、FMラジオでJET STREAMというラジオ番組があっていた。 午前0時からの城達也氏の声に魅せられよく聞いていた。 その番組に感化されスポンサーである「赤」の飛行機にずっと乗っていた。 教授がいつも「青」にのっていて一緒になりたくないので自分は「赤」に乗っているというわけではないということは言い訳しておこう。

今回は飛行機の乗り継ぎの都合で数年ぶりに「青」の飛行機に乗った。 17:20発の宇部→羽田で幸い機内食がでたのでとりあえずいただく ところが羽田→新千歳の便でまた機内食がでた。元来小食ではあるが、ここは食わねば損をした気になるので2回目の夕食をいただく。 さらに言えば、飛行機には何度も乗っているが風景も運賃に含まれると思うと、飛行機は窓際に座らないと損をした気になる。やはり根は吝嗇家である。 しかし飛行機は悪天候で遅れて窓からは雲しか見えず、新千歳着は22時であった。 さらに言えば札幌のホテルにチェックインしたのは23時20分であった。機内食の2度食いもあり北海道の美食を味わう時間も胃袋の余裕もなかった。 翌日は北海道大学で朝から講演なのでスライドを手直し、とりあえず寝たがカーテンをよく閉めなかったのが失敗であった。札幌の日の出は早いのである。調べると札幌の日の出は4時である。部屋が明るくなり5時には起きてしまった。

さて、本題の北海道大学での講演はオーディエンスのレスポンスも乏しく終わり、講演内容がまずかったか・・・と猛省。 いつもあれだけ饒舌に講演ができる教授を’そのときだけは’うらやましく思った。

そんなわたしを不憫に思ったか、北海道大学の品川先生が「せっかく北海道までいらしたので・・」とお昼ご飯にお寿司をごちそういただいた。 15:30の便で新千歳→羽田なのでゆっくりはできなかったがそれはもう緊張がほぐれた瞬間である。品川先生に感謝である。 新千歳→羽田では、また機内食がでた。お寿司で腹一杯なのでさすがに食べられない。 今回ばかりはお寿司の余韻に浸りたいので機内食はいただかず、旅行気分でリラックスして過ごしたのであった。 ところがである。羽田→宇部は「青」でも「赤」でもなく「黒」の飛行機であったが、私の隣席に某教授(教務委員長)が座られた。 緊張に襲われてしまい機体の色のごとく真っ黒な日常に逆戻りであった。 まことに人生は皮肉である。

中四国呼吸器学会地方会 in 高知
2017年8月26日

呼吸器学会の地方会が高知であった。高知は遠い。別に「長崎が遠い」みたいな意味はなく純粋に遠い。宇部→新山口→岡山→高知と乗換えして約5時間の道のりである。
今回、私は大学で留守番を仰せつかった。
今回の学会は通常PowerPointによる発表が主体のところポスター発表もあるのである。
スライド発表であれば5時間の車中で泥縄ではあるがスライドの修正が効くのである。しかし今回はポスター発表もあるというので濱田先生はポスター発表となった。しかしこれがくせ者。A0サイズのポスターは作り慣れないのでいざ印刷するとサイズが合わないのである。
教授秘書がデータをもらいポスター印刷をしてきたのだが、できあがったポスターをわたしに見てほしいといってきた。こういう頼み事をしてくるときの教授秘書はだいたいウラがあるので要注意なのである。
ポスターをみたのだが、どう見てもCT画像の解像度もラフだし、ポスターの縦横の比もおかしい。 それが学会の前日の夕方の出来事。ここから濱田先生の焦りっぷりはハンパではなかった。
夜遅くまで自分でポスター印刷機を動かし、なんとか間に合わせて出発していった。
これこそ若き研修医に教えておきたい「ポスター発表のワナ」である。

さて、学会といえば奨励賞である。何が何でもこれをとらないと教授が納得しない。
今回はクリクラの学生さんが担当した症例を6年生の吉野さんに発表してもらった。腫瘍随伴性天疱瘡に伴う閉塞性細気管支炎様肺病変を確認できた希有な症例であった。私自身の1例しか経験したことがない。
肖像権の問題があるが本人から肖像権の許可は得たのでここで披露するが見事吉野さんが奨励賞をゲットした。
今回濱田先生が写真を担当したが、他の写真を見てみると高知へ行く土讃線の大歩危、小歩危の写真はわかるが、末竹先生の酔っ払った写真や手ぶれして何を撮ったか分からない写真ばかりであった。学会の前日になにをしていたか豈図らんやである。 学会で奨励賞をとりたい若き医師はぜひ当科にて研修希望を出してください。
当科はいつでもWelcomeです。

長崎が遠い
2017年8月26日

忙しくてブログの更新が止まっていたことを詫びつつ最近の出来事を記そうと思う。 どうやらこのブログにはコアなファンがいるようで「最近更新が滞っている」との複数の方からおしかりをいただいた。東京であった研究会で某大学の教授より「あれ、キミが書いてるんだろ。最近更新してないな」と言われてしまった。 以前アクセス歴をみたが確かに山口がもちろん多いのだが、東京や九州からアクセスがある。中には中国やロシアからのアクセスもあった。ただしこれはサイバー攻撃だろう。

さて6月は内視鏡学会で長崎へ行った。長崎は仕事で7年通った土地なので土地勘はある。さらに長崎大学は第一志望の大学でセンターリサーチはA判定だったのに不合格になった忌々しい思い出もあり長崎に対する思い入れは人一倍強い。なつかしの長崎駅に降り立ち学会会場へ向かう。 学会会場で知り合いと最近発売になった内視鏡処置具の使い勝手について意見交換を行い、情報を仕入れる。今回の主目的は達成。あとはEBUS-TBNAのハンズオンセミナーの講師をやって終了。

夜は暇だったので中華街で皿うどんを堪能した後に、長崎名物100万ドルの夜景を見ようと稲佐山に行ってみた。 ロープウェイーで稲佐山に登ると山頂駅はカップルとバスツアーの観光客ばかりでスーツ姿のおじさんは場違い感満載である。しくじったと思うが帰りのロープウェイーは15分後である。 ロープウェイーに1230円払って登ってきたからには夜景を堪能しないと損をした気分になるので意を決して展望台に挑む。孤独な羞恥心を隠し、カップルの隙間から夜景を臨むが当日は曇りであまり夜景がきれいではない。おまけにスマホで写真をとってもちっともきれいじゃない。さらに追い打ちをかけるように小雨も降ってきた。「長崎は今日も雨だった」である。

翌朝ホテルで朝食をいただきながら、甘い卵焼きに甘いお醤油に、ああ長崎の味付けだと懐かしく思った。最近年のせいか記憶は曖昧になってきたが味覚はいまだに衰えてなかった。 みなさんは「長崎が遠い」という表現をご存じだろうか。 確かに長崎は山口から電車で3時間弱と遠いが、そういう意味ではない。 「長崎が遠い」とは「味付けの甘さが足らない」という意味である。 「この卵焼きは長崎が遠いね」といえば甘さが足らない、悪く言えば砂糖をけちっているという意味である 長崎は江戸時代、出島経由で砂糖がたくさん入ってきたので、すべての味付けが甘いのである。

いま山口大学の呼吸器感染症内科は人数が少なくて多忙を極めているが、帰りの車中では、いつかは来るだろう、立派な医局になるという甘い夢を見てその日大学に戻った。

教授元気で留守がいい
2017年5月29日

ATS Conference 2017(American thoracic Society)があった。山路先生が同行したが、教授と四六時中一緒の彼はもはやツアーコンダクターである。彼はその事実を知ると、あわてて本屋へ走り、「地球の歩き方」を購入していた。
残された医局員は教授が5日間いないというだけで気持ちも足取りも軽い。医局に清らかな空気が流れている。医局の窓から見える景色も同じ景色でもよどみがなく見える。
教授不在の間、教授秘書はさらに容姿端麗になったようにも見えた。

わたしは決して教授が嫌いなわけではない。私の恩師はある日突然逝去された。残された医局員はたちつくすのみであった。あのような思いはもう二度としたくない。
要は「教授元気で留守がいい」のである。
この元ネタは1986年の流行語大賞である。
勘違いされては困るのだが、教授の事はもちろん尊敬しています。
そうじゃなかったら、一緒に働いてないし。
もちろん邪魔者扱いしているわけでもありません。
でも私は未だに教授に対してどうしても気を使っちゃうんですね。
尊敬しているからこそ気を使う。
そして
気を使うと、疲れちゃうんですよね。
だからこそ
「教授元気で留守がいい」のです。

先日教授はワシントンから帰国した。
学会で最新の知見に触れActivateされ医局員にとって危険な状態である。
いわれていた宿題を早々に片付けることとして今回ブログはこれくらいで終わることにしよう。

サクラサク
2017年5月29日

4月になりいろいろと医局行事があったのだが、全く更新できなかったのを詫びつつブログを書くことにする。
私自身感染制御部に異動したので、毎日が慣れないことばかりで4月はあっと過ぎた。

いま振り返ると4月は侵入医局員、いや新入医局員の歓迎会があった。
当科の恒例でまた肉である。今年も焼き肉だというのでわたしは昼絶食で臨んだが、やはり胃袋に堪えた。ましてや当直明けである。
今回の幹事は大石先生が努めてくれたが、忘年会で最も医局員を困惑させた座席配置のことを彼は全く考えてない。おそらくは忘年会の席決めのくじ引きでご自身がジョーカーをひいて教授の横の席になったしまったことを根に持ってのことだろう。
大石先生の忖度が足らずに私は教授の対面の席となった。元来食は細いが教授の前なのでいっそう食欲は落ちてカルビを数枚食べてgive upである。
対して私の横に座った野山先生はよく食べる。追加注文までご自身でされる。このバイタリティがあれば呼吸器感染症内科は大丈夫だと思った。濱田先生も上原先生も白ご飯片手によく食べていた。今年の新入医局員はよく食べるので大丈夫だと思った。

4月の恒例行事と言えばお花見である。
昨年度は予定した日にサクラが二分咲きで1週間延期になった。そして1週間後に散り初めのサクラの中でお花見をした記憶がある。今年は予定した日は天気にも恵まれ4分咲きのサクラのもとお花見ができた。おそらく教授の行いがよいのであろう。
しかし忙しくてそのときの会話の内容はさっぱりと忘れた。とにかく教授からいかに遠くの席を確保するかだけは努力した記憶がある。
さらに元来ひねくれた性格であるので、桜の花より満開のタンポポに惹かれ写真を撮った。
今は地べたに咲くたんぽぽのようであってもいつかは満開の桜のように華やか講座になりたいものだと気持ちを新たにした。
来年のサクラをどんな気分でみることができるか。平成29年度も頑張ろう。

「人間到る処に青山あり」
2017年4月24日

3月4月は異動の季節である。

新入医局員として県立総合医療センターから濱田先生、三重大学からは上原先生の2名の若き修練医が新メンバーに加わることになった。 そして倉敷中央病院からエキスパートの野山麻紀先生が指導医として加わった。 そして当科からは大畑先生が宇部医療センターに出向されることになった。 ちなみにわたしは感染制御部に所属変更である。

一年は早く感じ山口大学に呼吸器感染症内科ができて1年8ヶ月になった。しかし私は退勤途中に骨折をしてしまうという名誉の負傷のため手術と抜釘で計3ヶ月の休職期間があるので実質1年5ヶ月である。 通勤途中の怪我ということで労災扱いであったが、その私が4月から病院労働安全衛生委員も命ぜられた。人生はなんとも皮肉である。

それにしても1年が早い。 1年が年々早く感じることをジャネーの法則というらしい。 6歳児の1年は人生の1/6だが、40歳の1年は1/40である。 光陰矢のごとし 少年老い易く学成り難しで、なんとなく過ぎた1年8ヶ月であった。 ここまで苦労は多かったが何の業績も形に出してないのでこれはこれで教授にシバかれるのでやばいと反省。

高校時代に古文の授業で思い出に残っている漢詩がある。

  • 男児立志出郷関 男児(だんじ)志(こころざし)をたてて郷関を出ず
  • 学若無成死不還 学(がく)若(も)し無くんば死すとも還(かえ)らず
  • 埋骨豈惟墳墓地 骨を埋むる豈(あ)に惟(た)だ墳墓の地のみならんや
  • 人間到処有青山 人間(じんかん)到る処(ところ)に青山(せいざん)有り

男子たるもの、ひとたび志を立てて故郷を出たからには、学業の成就をみなければ、いかなることがあっても、わが故郷に帰るものではない。 自分の骨を埋めるのは、必ずしも先祖代々の故郷を望むものではない。 この世はどこに行っても、自分の墓地となる青く美しい山はあるのだから。

大畑先生には新しい任地の宇部医療センターで頑張ってもらいたいし、わたしも感染制御部に移っても頑張ろうと思う。

三行革命
2017年2月27日

三行革命? 産業革命の書き間違いでは?と思われたかもしれません。
わたしは以前の職場の時から通勤時間はラジオを聞く習慣がある。
以前は電車通勤だったのでスマホでラジオを聞きながら、手には新聞。オヤジの生態である。決して医学論文を読まないところが根っからのナマケモノである。
そして今はクルマ通勤なので車内でラジオ。それも情報の多いAMラジオである。音楽を聴かない理由は単調で眠くなるからである。ラジオなら情報を聞きながら理解しようと頭を働かせるので眠気が来ないだろうという根拠のない理由からである。
そのラジオのなかで「三行革命」ということを言っていた。
メモに毎日3行書くのだそうだ。
①    今日のできなかったことを書く
②    今日のできたことを書く
③    明日の目標を書く

だそうです。こうすれば毎日目標をもって過ごせるという話をしていた。
根っからのナマケモノの私は毎日同じことを書きそうな気もするが、年が明けて心機一転。
今年は少し目標をもって過ごしてみようと思う。

つつがなく・・・
2017年2月27日

多忙にてこのブログの更新が途絶えていることをわびつつ更新する。

12月末の某日に医局の忘年会があった。
大学近くの鉄板焼き屋を貸し切って豪勢に行ったのである。

去年は焼き肉。今回は鉄板焼きと当科には「和食でしっぽり」という選択肢は皆無の様である。
食が細いわたしには酷な講座である。
なぜ鉄板焼きになったかというと教授の希望とのこと。これには教授は知らぬが多少のいきさつがある。まず予算で悩む。やはり結構高い。幹事の山路先生、教授秘書、私で対応策を考える。「お酒は安い酒しか頼んではいけない」と医局員に事前ブリーフィングすることで予算のことは解決。次は席次である。
鉄板焼き→カウンター席→教授の隣席は誰が座るか?
これは永遠の課題である。とりあえず隣に准教授を据えるとしても、逆サイドに誰を据えるか?
予算以上に席の配置は大問題である。
こうなると、お互いに心の中で牽制し合うのである。
「(山路)俺は座らないぞ!」
「(教授秘書)先生お隣座らないんですか、じゃぁわたしが座りますよ」
「(わたし)いや、俺が座るよ」
「(山路)・・・じゃぁ、俺が教授の隣に座るよ」
「(わたし、教授秘書)どうぞ、どうぞ」
もうダチョウ倶楽部の世界である。

当日、結局はくじ引きで席は決められ、ジョーカーは大石先生が引いてしまった。
くじ運のよい教授秘書と私はカウンターとは離れたテーブル席でビフテキを堪能したのである。
しかし、うちの教授は活動的なのである。医局員からのお酌をじっと席で待つようなお方ではない。アルコールでactivateされ自らがグラスを持って動き回るのである。
我々の心配は杞憂に終わった。

バリアフリーの世の中、当科は教授までの距離が一番近い講座と宣言してこのようにつつがなく一年を締めくくれることに感謝しようと思う。

「どや顔」
2016年12月28日

わたしの亡き恩師の七回忌の案内が医局に届いていた。その恩師を想いながら、恩師がボソッと言っていた言葉を思い出した。「教授とは孤独なんだよ」と。 さて呼吸器学会地方会が12月23日に行われた。
12月初旬に教授秘書が「○○先生は今度の地方会、前日から岡山に行かれますか?」と聞き回るので医局員は「これは何かウラがあるに違いない」と踏んでいた。 教授秘書を問い詰めると、「前泊する教授が医局員と夕食をともにしたいので誰が前泊するのか聞くように言われた」と白状した。‘教授’秘書とは名ばかり、いとも簡単に教授を売った。
その思惑がバレてしまい、結果誰も前泊をしなかった。やはり「教授とは孤独なのである」。

それでも教授はめげない。これくらいではめげないから教授になれたのである。
今度は医局員に直接聞いて回るのである。「大畑はどうするんだ。朝の発表だから前の日から行かないのか?」 教授の魂胆はバレているので「始発の新幹線でいきます」の無情な返事。
これでも教授はあきらめない。「末竹はどうなんだ?ん?」 末竹先生の目が泳ぎはじめ、しどろもどろで答えを濁し始めた途端、教授は「わかった」とさみしく踵を返して自室に戻られた。

さて学会当日。前回研修医優秀演題賞を受賞した大畑先生の発表。夏の地方会の時は打って変わり、雨後の竹の子のように次々と質問が飛び出す。
続いて末竹先生の発表も行われた。バツが悪いことにこの男こういうときに限って風邪を引いて声がでないのである。もちろん発表後は体調不良につき早退である。

そして待ちに待った研修医優秀演題賞の発表。前回の学会では大畑先生が受賞されたが、この顛末はブログの過去の記事を見てもらいたい。(松永教授が中四国地方会で鮮烈なデビューを飾った。)
今回はなんと末竹先生が受賞をされた。しかしこの男、風邪を引いてすでに山口に帰ったあとである。当科のジンクスとしてはどうやら学会会場から早めに消えると受賞するらしい。
当科に入局を決めた濱田先生も初期研修医優秀演題賞を受賞された。
ダブル受賞の結果に一人で岡山に前泊の孤独はどこへやら、もう喜びで顔面が土砂崩れを起こさんばかりの、どや顔の教授である。
しかしそのどや顔もよく見てみると教授の頭にはこの1年半で明らかに白いものが増えた。
来年は白髪を増やさないよう学会にはご一緒しようと思った。

さあ、次回も学会賞取るぞ!である。

「一病息災」
2016年12月28日

昨年退勤途中の名誉の負傷にて左大腿骨に入っている金属除去で手術予定となった。
別にあえて金属を抜かなくても支障はないのだが体内に異物が入っているのもなんとなく異物感がして気持ち悪いので手術する気になった。
全身麻酔をかけるので術前検査が必要で整形外科の外来受診し、心電図、採血、胸部レントゲンとあちこちを回る。いざ回ってみると意外と距離がある。すべて回るには1時間弱はかかった。ここで患者さんの気持ちを実感。
手術は朝一の定例手術である。手術場でなじみの胸部外科の先生とすれ違うが全く気づいてくれない。病衣とはそれだけ病人を病人たらしめる強烈なアイテムであると実感することになる。
麻酔科の先生からプロポフォールを打たれるが3呼吸くらいで意識消失。気がつくと「手術終わりましたよ。部屋に戻りますよ」と声かけされる。実感としては30分程度にしか感じなかったが実際は3時間。不思議なものである。

血栓予防のためフットポンプがつけられ安静指示がでるが今回は骨が折れているわけではないので翌日から離床。食事開始。また山大の病院食をいただくことになる。数々の病院で検食として病院食をいただいたが、山大の病院食は普通においしい。ここは大事なことなので再度書いておく。
術後は順調に回復し最初の1週間は従順に入院生活を続けていたが、意外と堪えたのは糖分が足らないことであった。
元来甘党の自分にとって糖分のない入院生活は思いのほか辛かった。
「糖分を一番消費する臓器は大脳である」と講義でならった記憶はあるが、その通り脳が活躍していないことを感ずるのである。
お見舞いに来た呼吸器病棟のナースに「売店でチョコレート買ってきて」と懇願し、早速チョコレートを口にする。体温でとろけ口腔粘膜にまとわりつく食感に幸せを感じたと同時、糖分が行き渡るにつれ大脳かつてのように活躍し始めた。
入院前に「入院中時間があるから書けるだろ」と教授に言われた喘息アレルギーの依頼原稿の件を思い出したのであった。

ああ、無情である。

「袖触れ合うも多生の縁」
2016年12月28日

寄る年波の成果、このブログがかつての精彩を欠き、更新が全く行われなくなっていたことを恥じつつ更新をすることにする。

10月のある日、県立総合医療センターで研修をしている濱田先生がスーツ姿で挨拶に訪れた。うれしいことに次年度から呼吸器感染症内科の一員としてともに呼吸器の勉強をしたいと入局の挨拶であった。
濱田先生は夏に当科をローテートし実際医局の雰囲気を経験した上で入局してくれた第一号である。袖触れ合うも多生の縁である。
今年度入局した大畑先生、末竹先生は実は当科をローテーションせずに入局を決めたのである。なんとも勇気ある二人である。
しかし彼らも当時は口には出さなかったが「もしかしたらいまいる呼吸器の先生たちは腰掛けじゃないんだろうか?」「入局したはいいもの、実はこの先どうなるのか不安だった」と本音漏らしたことがある。
彼らには何度も言っているが「決して職歴ロンダリングの腰掛けで赴任したのでははない」と、この場で宣言しておくことにする。

そして恒例である、松永教授から聴診器のプレゼント。
まだ医局のデスクの数には若干の余裕があるのでぜひ入局を考えている先生は一度見学にきて見てください。
医療人育成センターのホームページ(http://www.cdc.hosp.yamaguchi-u.ac.jp/)の「病院見学」で申し込めば手続きはつつがなく終わります。

濱田先生はまじめで控え目で本当に優秀。わたしのように目立ちたがりのくせ恥ずかしがり屋という変な一面を持っていない。
ただ、濱田先生せっかくスーツで挨拶に来たのに、スーツがダブダブで袖が合ってないなかったのはご愛敬。
一緒に働くようになった時「人の見た目は9割」という本があるのでそれをプレゼントしようと思う。

 

呼吸器学会中四国地方会 in 広島
2016年8月29日

さる7月呼吸器学会中四国地方会があった。准教授にお留守番をお願いし総勢で広島に繰り出した。
このようにみんなで学会にいけるのは多数の医師がいる大学病院の役得である。
今回わたしは発表がないので荷物も気持ちも軽い。多年の経験によるとネクタイを締めてジャケットさえ着てればいい。当科の演題は、末竹先生の「ノカルジアによる膿胸の一例」、大畑先生の「髄膜炎菌による肺化膿症の一例」である。
末竹先生は9時からの最初のセッションでの発表。座長から「研修医のセッションですので建設的な討議を行いましょう」と軽いジャブが入る。
末竹先生はつつがなく発表をおえるも質疑が多数あり活発な討議が行われた。
午前最後のセッションの大畑先生は会場から全く質問がなく座長が質問してくれたおかげで、なんとか体裁を保った感すらあった。
発表をおえ、それこそ気持ちも軽くなったみんなで会場近くのお豆腐料理をいただきそれはリラックスした瞬間であった。そして再び会場にもどる。
昼食後に大畑先生が「研修医奨励賞の発表があるから最後まで居なきゃいけないね」と言っているのを聞いて「オメー、何言ってんだよ。質問もろくにでなかったのにそんなものとれるわけねぇだろ」「帰ってヨシ。その代わりおみやげのもみじ饅頭40個大学に買って帰れ」とは私の軽率な言葉。
寄る年波のせいか、学会発表に関しては慎重になった。しかしどうしたことが学会会場の言動には軽率になった自分をあとで恨んだ。

私は聞きたいセッションがあったので最後まで残っていた。
閉会式で研修医奨励賞の発表があった。「受賞者を読み上げます。受賞者は前へ。岡山大学○○先生。山口大学呼吸器感染症内科 大畑先生。・・・」
「ん?大畑?。やばい本当に受賞しちまったよ」と慌てて携帯電話で大畑先生に電話をするも時すでに遅し。新幹線に乗ってしまったか電話は通じず。はと目を移すと松永教授が研修医に混じり代わりに前に並んでいる。
私の背中にいやな冷汗。まわりの先生方がざわつく。「あれ、前に並んでるの松永教授じゃないか?」 島根大学の礒部教授が笑い転げてiphoneで写真を撮りまくる。
学会会長から「もちろん代わりの方ですよね」と皮肉交じりの言葉をうけて会場が大笑い。私だけがきれいさっぱり笑えなかった。軽率な言葉に大畑先生を帰してしまった自分にすっかり自己喪失である。

さぁ、来年もまた学会賞とるぞ!である。

「さようなら こんにちは」
2016年8月29日

ブログの更新が途絶えてるぞと教授にいわれあわてて3ヶ月分を記載することをわびなければならない。
教授に言われないとなにも仕事をしない性分は骨髄まで染みついてるらしい。

2016年3月に苦楽をともにした伊藤先生が退職された。
2015年7月に松永教授とともにいち早く赴任し呼吸器感染症内科の診療体制を1ヶ月にわたって準備してくれた功労者である。
診療開始後は病棟医長として病棟患者を一気に診療してくれ、八面六臂の活躍でした。 退職後は実家を継承して新規に病院を建て直し呼吸器内科に特化した診療所を厚狭に開業されました。
山口県内には呼吸器専門医は38人しかいませんが、彼は呼吸器専門医で開業する数少ない一人である。なかには素人のような呼吸器専門医もいるが伊藤先生は数々の指導医から薫陶を受けた正真正銘の呼吸器専門医である。
某教授が言っていた言葉がある。「同窓会して開業した同級生とあったんだ。彼が強調するんだよ。‘借金とはものすごいプレッシャーだよ‘と。そんなこと聞かされたらね、我々大学での苦労なんてたいしたことはないなぁと思えて自分も頑張らないとなぁと思ったよ」と。 伊藤先生のプレッシャーいかばかりかと思います。
せめて伊藤先生がクリニックのことを忘れて、どこかへ家族旅行いけるように、そのうち‘代診留守番クーポン券‘を差し上げたいと思います。
お別れの日に松永教授からは、餞(はなむけ)の言葉と聴診器のプレゼントがありました。

そして4月からは山路先生、末竹先生、大畑先生がこられました。
山路先生は飯塚病院呼吸器内科で鍛えられた即戦力です。福岡県の某大学の呼吸器内科や放射線科が山路先生のことを一生懸命スカウトしてたようですがそれを振り切り、地縁血縁のない山口大学呼吸器感染症内科を選んだレアな先生です。
末竹先生は故郷の萩に錦を飾るべく当科を選ばれました。福岡県の某大学の呼吸器内科に研修に行っていた絡みもあり、激しい争奪戦の末に当科が彼をゲットしました。
大畑先生は開業するお父上を継承するべく当科を選ばれました。
そして2内科のご厚意で宇部医療センターから大石先生が助っ人で当科に来てくれました。

あたらしい体勢での呼吸器感染症内科にご期待ください。

木曜セミナー
2016年3月22日

当院の研修医は「木曜セミナー」といって各診療科の代表が研修医に向けて40分のレクチャーを行うことになっている。 分野は最先端医療ことから医療安全のことまで多岐にわたる。
わたしがご指名を受けたので「見逃しちゃいかんばい。胸部レントゲン」で不肖ながらつたないレクチャーをした。 このレクチャーはお弁当がでるので、つまらないレクチャーをすると疲労がたまった研修医は自然の摂理で午睡されJCS300の世界へ突入する。 わが母校の精神科の教授が「午睡は成績を上げる」といっていたのでそれもヨシとする。

胸部レントゲンは奥が深くいまだに悩みは尽きない。父は悩ましいフィルムはシャウカステンに斜めにかざしたり、直射日光に照らしたりして見ていたが、いまはフィルムレスなのでモニターの性能に左右されることもまた多い。
今回のレクチャーでは断層写真のことは話さなかったが自分の学年が断層写真を撮っていた最後の世代だとおもう。(この断層写真はCTのことではない!)

胸部レントゲンは呼吸器内科医の永遠の課題であるので勉強会に何度もいった。
肺癌診断会という寺子屋形式の講習会がありいままで2回参加した。
1回目は第32回(2006年)の診断会であった。当時山口大学放射線科におられた松本常男先生(現:宇部医療センター)が主催され、湯田温泉へ2泊3日泊まりこみでいった記憶がある。
OSCE試験のようにブースを10名前後でクルクル回って読影をするのである。講師の先生より指名されて読影しないといけないので相当に緊張した。しかし呼吸器内科医の道を歩み始めたころなのでそれなりの自信はあった。そして見事診断をはずしまくった。
いまの自分ならどうだろうか?と自問自答しながら木曜セミナーを終了した。

今年は第42回の肺癌診断会である。熱海で6月30日から2泊3日。
興味ある研修医は夏休みを取ってでもいかれたし。

バレンタインデーに想う
2016年2月23日

2月14日はバレンタインデーである。
私は一時期、四国の某大学にいた。当時医局の隣の席は文化祭でMr.医大コンテストで優勝したこともあるA先生であった。確かにかっこよかった。バレンタインデーになると机上には誰からもらったのか舶来の高級チョコレートが山積みであった。ただし1つも自宅には持って帰ることをせず、すべてが甘党の私の胃袋に入った。おそらく奥方の嫉妬が怖くて持って帰らなかったのだろう。

対する私は事前に病棟ナースにロビー活動をしまくって義理チョコをもらうのがやっとであった。 その様子はまさに「ギブミーチョコレート!ジェネラルマッカサー!」と叫ぶ戦後のこどものようであった。

ジェネラルマッカサーは70年前の進駐軍GHQのマッカサー元帥である。そしてGHQとは General headquartersの略である。 ちなみに我が医局もGHQである。決して山口大学に進駐してきたという意味ではない。 その意味はGo home quicklyの略である。

教授秘書にいただいた’義務’チョコを食べて血糖値を上げて、今月から始まったポリクリの指導を頑張りつつも早く家路につこうと思う。

行く年来る年
2016年2月16日

医局忘年会があった。
10月から決めていた焼き肉である。なぜ焼き肉かは教授秘書の一言で決定。 教授秘書は一介の医局員より決定権があるのである。その決定のもとに末梢の医局員はお店を予約するのである。 わたしは食道胃ヘルニアと逆流性食道炎の持病のため食が細いのであるが、それを隠すためかっこよく「小食の美食家だから」と気取っているのだが、焼き肉は私には少し酷な食べ物である。 ただし肉は上等で美味だった。食べ過ぎて翌朝ものすごい胃もたれをした。やはり年には勝てない。 忘年会では教授自ら下っ端医局員にお酌をしていただいた。恐縮である。

そして新年になり仕事始めである。「松永和人とその仲間たち」も仕事始めである。 「医局員の生活が第一」とどこかの政党がいっていたようなことをモットーに始動するが 新年早々急患が押し寄せ、急患を乗せたドクターヘリまでやってきた。 世界の中心で愛を叫ぶばりに元気な仕事始めをしたが、数時間後にはヘリポートで患者の到着を待つ事態に。これでは世界の中心で愛を叫ぶ状態どころか、押し寄せる急患に事態は「セカオワ(世界の終わり)」である。

今年も大変な仕事始めである。一年、頑張ろう。

2ごうさん
2016年1月8日

年末差し迫った12月某日 山口済生会病院で研修中の末竹先生が医局に挨拶にやってきた。 「呼吸器内科を専門に勉強したい」とうれしい言葉を頂き4月から仲間に加わってもらえることになった。 わが呼吸器感染症内科にとって大畑先生に続く「入局2号さん」である。 そして恒例の聴診器プレゼント(写真)

さて以前の職場で医局長をしているY先生というのがいた。 艶男で、蟒蛇(うわばみ)であった。 要は職場では硬派のモテ男だが、お酒を飲むと抑制が外れる典型的ダメンズであった。 学位を取ったとき祝宴をしてあげたが私がプレゼントしたお祝いのスコッチ(ザ マッカラン)を泥酔して割ってしまうというていたらくぶり。 そんなY医局長に誰が言ったか「酒とオンナは2ごうまでにしておけよ」と。

ちなみに呼吸器感染症内科の新人枠は2号までではありませんので、興味のある方は気軽に医局を訪ねてください。

新入医局員
2015年12月17日

去る11月26日下関済生会で研修中の大畑先生が、わが呼吸器感染症内科にやってきた。
「カモがネギをしょってきた!」とばかりに教授室に閉じ込め出入り口を医局員でふさぎ「入局すると言うまではここからは出さない」と軟禁し入局してもらった。
というのは冗談で、「将来呼吸器内科を専門にやりたい」と抱負を持って挨拶に来てくれました。

記念すべき侵入医局員、いや新入医局員第一号である。
入局するとのことで呼吸器内科は聴診が命なので教授より自らが愛用のメーカーの聴診器プレゼントがありました。輸入品の聴診器が多い中、珍しく日本製の聴診器である。
聴診器は買うと高いのだがどういうわけか、よくあちらこちらに置き忘れるモノである。
教授からいただいた聴診器をなくさないためにも名札をつけるか、スペアにこっそり同じモノをもう一個買うことをおすすめします。

自分の入局といえば、思い起こせば15年前である。その後国内留学も含め3人の教授の指導を受けた。現在は4人目の教授の教室である。
そのうちのお一人の教授は、あまりに偉大な教授であったため、医局内の酸素の量は、教授が日々調節しているのではと思えるほどで、ご機嫌ななめの時は、居ながらにして息苦しさを覚えるほどであった。とりわけ、私が何かやらかした時の空気は、エベレストの八合目にいるかのようで、そのとき言われた内容についてはいまだに記憶が飛んでいる。

こうなると人間進化を遂げて、お互いが離れた部屋にいても気が抜けず、遠くの方で、教授室の扉の音がカタッと音がしただけで、軽く走り出す自分がいた。かくして私は、自然と肺活量が大きくなり、逃げ足の速い、アスリートと化した。その性分はいまでも抜けない。

さあ当日の大畑先生はというと、いささか息苦しそうな顔をしておりました。大畑先生にとってはすでに酸素濃度が薄く感じたようです。次第に逃げ足も速くなるかもしれません。

さて聴診器はまだ医局にたくさんストックがあります。
興味のある方はぜひ12月にある医局説明会に参加されてみてください。

「凡人、賢人、変人、」
2015年11月25日

左大腿骨転子部骨折して1ヶ月半。やっと退院できた。
整形外科の先生方に本当にお世話になりました。

今回入院してみて他の視点から院内の物事を観察できたのはよい経験でした。
山大病院は消灯のときいきなり電気が落ちるのでベッド上にいないときはいきなり真っ暗になり戸惑うことがありました。以前勤務した大学病院は消灯時に「消灯の時間です。おやすみなさい」と案内があったので最初はビックリしました。

そしてわが医局も傍観することもできました。
松永教授は日々是勉強で「このたびこんな論文を投稿しました」と医局員にお知らせメールがおくられてきたりして、電子カルテの入力はあんなに丁寧(=遅い)なのに、いったいいつ論文を仕上げる時間があるのだろうかと不思議になります。
平野准教授は行動的であり(=落ち着きがない)、仕事も素早く(=待てない性格である)、いろんなところに目が行き届き(=気が散りやすい?)賑やかにご自分の仕事をしておられる。

伊藤先生はどんなに忙しくともいつもニコニコ、黙々と仕事をこなしております。能ある鷹なので爪を隠しているのかもしれません。ただ上記二人に比べるととんがった特徴がありません。

かつて自民党総裁選の3人の候補者を「軍人、凡人、変人」とたとえた女性政治家がいましたが、我が医局の3人は「凡人、賢人、変人」だなと・・・。
誰が賢人で、誰が変人かは想像にお任せします。
そして私は「病人」であります。
医局の雰囲気を知りたい方は気軽に呼吸器内科医局を訪ねてきてください。

たかが専門医、されど専門医
2015年11月19日

山口大学に呼吸器感染症内科ができてはや3ヶ月。

全員が県外から落下傘で赴任したので山口の呼吸器診療になにができるかを探しながら日々診療しております。 その中で少し気になる文献があったので紹介します。 これは以前の職場でわたしの上司であった川山智隆先生や山口県で数少ない呼吸器内科専門医である山口赤十字病院の國近尚美先生らも調査に協力した論文です。 図に示すように気管支喘息死亡率と呼吸器専門医数、および慢性閉塞性肺疾患(COPD)死亡率と呼吸器専門医数との関係を都道府県別でみると、これらは逆相関を示し、病院当たりの呼吸器専門医数が少ないほど気管支喘息死亡率およびCOPD死亡率は上昇していることがわかります。またこの論文のなかでは呼吸器内科専任教授が不在の県においては、教授が在籍する都道府県に比べて呼吸器専門医数が少ない状況が明らかとなっています。これは以前の山口県に相当します。

来年度から専門医制度が大きく変革します。専門医制度の変更に困惑する若き医師が多いのは事実ですが、専門医制度は医療の質に大きく影響していることがわかります。 たかが専門医と思われるかもしれませんが、されど専門医なのです。 当科では専門医取得ができるよう準備中です。 ご不明な点があればお気軽に医局までお問い合わせください。

わが国における気管支喘息および慢性閉塞性肺疾患死亡率:呼吸器専門医数および呼吸器内科教授在籍との関係 山谷睦雄ら.日医雑誌141: 2003-2007, 2012.

助教の本領
2015年10月29日

山口大学に呼吸器感染症内科が平成27年8月1日に開設されました。
松永教授を含め4人での船出でした。9月30日までは順調な航行でした。 しかし一兵卒で働いていたわたくしが9月30日に帰宅途中歩道で転倒し左大腿骨転子部骨折し傷病兵となってしました。 仕事中の負傷なら名誉の負傷で2階級特進ですが、帰宅途中にコケて骨折では降格モノです。 しかし助教より下の肩書きはなく降格しようがないので現状維持。 コケたのは夜でしたが整形外科当直の岩永先生は丁寧に診察してくれました。 翌日には緊急で手術をして頂き、もう整形外科に足を向けて寝ることはできません。

というわけで入院療養中ですが前々から6年生に約束していた国試対策の補講の予定の日がやってきてしまいました。学務課からは受講希望者は8名程度と聞いていたので、「骨折で立てないけど、医局で個別指導すればいいか・・・」と呑気に考えていたのが間違いの始まりでした。

いざ当日。入院以来病衣で過ごしていたので私服がない。病衣で出向く一抹の羞恥心と、まぁ学生8人ならいいかという妙な安心感と相反する気持ちを抱えて食べる朝食は味がしない。(注;山大病院の病院食は意外とおいしい)

時間になり看護師さんに車いすで医局へ連れて行ってもらうことにする。 エレベーターを降りると普段は秘書さんを含め6人しかいないフロアが妙に騒々しい。 医局の廊下に数十人の6年生が部屋からあふれてる。 「やばい・・資料は10人分しか印刷してない。全員が入れる部屋がない・・・」背中に妙な汗がながれる。
とりあえず部屋を確保し講義資料を慌ててコピーするが人数が多すぎて間に合わない。畏れ多くも松永教授に6年生を別の部屋に案内してもらい、参加人数を数えてくださいとお願いすると数分後に教授から嬉々とした声「42人も来てるぞ」と連絡があり、教授はうれしくとも、こちらはさらに焦る。この瞬間に努力というものの限界、平常心を保つことの難しさを実感したのである。

とりあえず講義終了。学生の満足いく講義ができたかはわかりませんが 参加者が多かったので、怪我をおしてまで講義をした甲斐がありました。
これこそ2階級特進できなかったものの「助教の本領」であります。
学生さんは質問があればどうぞ医局まで遠慮なく訪ねてきてください。
今回受講した6年生に栄冠が輝くことを祈ります。

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